歴史 2018/08/24

ソマレ派のクーデター未遂と「インドネシアの影」②





事実、フランス製「FA‘MAS自動小銃」は、インドネシア軍特殊部隊が少数を購入した過去があるが、実際に使われてきた様子はまったくない。
この小銃の評価はあまり芳しくないらしく、撃ったことのある人によると、「戦場では持ちたくない銃」ということであった。


インドネシア軍の評価も似たようなものになるだろうから、何十丁か購入された後、倉庫の奥に眠っていたのだろう。そしてそれがいつしか「紛失」し、「員数外」になってしまっても、大した問題になることはない。


つまり、パプアニューギニア国防軍の武器庫にさえ侵入できなかったササ大佐は、かつてインドネシアから運び込んで国内のどこかに隠していたこの銃を、ここぞとばかりに使ったのであろう。


このことは、ササ大佐が「武器庫管理係」さえ味方につけられなかったことの証明であると同時に、もしかしたら今回の反乱には、東ティモール独立運動の際、オーストラリアを始めとする欧米メディアに「悪玉」としてさんざんに吊し上げを食らい、結果としてオーストラリアに東ティモールを「奪われた」とさえ感じている、インドネシア軍特殊部隊による密かなサポートさえあった可能性を示唆している。


ニューギニア島というのは、部族の構成などにいっさい考慮しない形で島の中央に国境線が引かれており、東がパプアニューギニア(旧オーストラリア領)、西がインドネシア(旧オランダ領)に分かれている。
かつての植民地時代のなごりを残した国境線だ。


当然、この西側のインドネシア領(パプア州)には多くのパプア人(多くがキリスト教徒)が住んでいるが、彼らは長年、インドネシア政府に対する分離独立運動を続けてきており、オーストラリアはこの分離独立運動を影で支援してきた形跡がある。


事実、インドネシア情報部は、パプア州に欧米の諜報機関員がジャーナリストや人権活動家に扮して入り込み、情報収集や工作をしていると考えているが、このことはインドネシ政府と軍部にとっては、内政干渉という名の「侵略」「挑戦」にほかならず、したがってここ数年、インドネシア軍特殊部隊は分離独立運動に対する激しい攻撃を加えてきた。


彼らが分離独立運動と疑われた地元民を拷問し、虐殺している映像は多くインターネット上に流されているし、有名な運動家であるマコ・タブニ氏や、パプア地方を訪れたジャーナリストが暗殺されるなどの不気味な事件も頻発している(一方で、このインドネシア特殊部隊が、かつてオーストラリア陸軍SASRによって訓練されたことは皮肉である)。


一方、オーストラリアの強い影響力に対して抵抗するために中国に近付いたソマレ首相からすれば、同じパプア人が苦しんでいるとはいえ、自国の隣に東ティモールのような「オーストラリアの息のかかった新政権」ができれば、それはそれで大変に面倒なことになる。


そう考えると、ソマレ首相周辺がインドネシア領パプア地域の独立運動を封じようとするインドネシア当局と密接な関係を持っていたとしてもまったく不思議ではない。つまり、反乱将兵の持っていたフランス製自動小銃は、そんな秘密の繋がりを示す「物的証拠」と考えられるわけだ。


このクーデター未遂事件は、元軍人のササ大佐によって実施され、同じく元軍人のベルデン・ナマ副首相の「恫喝」であっけなく幕を閉じた。
しかしこの事件は、オニール氏とソマレ氏という「二人の首相」の後ろにそれぞれ「大国」が控えていたという点から見ても、国際政治の荒波がついにこの南海の一大資源国にも訪れたという意味で、とても象徴的な出来事であった。


私は今、『南太平洋島嶼研究会』というブログを立ち上げ、パプアニューギニアを始めとする南太平洋の諸問題に関する情報を時おりアップしているが、それを始めようと思ったきっかけは、このササ大佐によるクーデター未遂事件であった。


おそらく、多くの日本人がこの問題の危険性に気づいていないだろうと思い、少しでも多くの人に南太平洋の戦略的重要性を知ってほしいと願ったからである。
一大資源地帯として世界に認知され始めたこの地域は、いずれ日本の安全にとっても大変に大きな意味を持つことになるのである。



平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」  pp. 102-104


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