オニール氏を首相にした「豪腕」ベルデン・ナマ副首相
さて、この2011年8月の「議会クーデター」で、財務大臣であったピーター・オニール氏を首相の座にまで担ぎ上げた「最大の功労者」は、過去にソマレ内閣で一時期大臣職にあった野党党首、ベルデン・ナマ氏であった。
その功績により、ナマ氏はオニール政権で「副首相」に任命されている。
ナマ副首相は元々パプアニューギニア国防軍の将校であったが、激動の人生を歩んできた人物でもある。
かつてより、欧米諸国や巨大な多国籍企業がパプアニューギニアの地下資源を食い荒らし、タダ同然で原住民をこき使い、最後にはその富をすべて持ち去っていく現実に激しい怒りを抱き続けていたというから、元来、正義感の非常に強い人物でもあったのだろう。
そして、その政治手法は、「強引」「豪腕」として知られている。
今回の「議会クーデター」に際して、買収を必要とした他の議員らに対する工作資金は、ほとんどナマ副首相が用意したものだとも噂されている。
そしてこの頃、ナマ氏も自分自身を「キング・メーカー」だと位置づけていたが、要は、木材利権で得た潤沢な資金と中国系のバックアップを受けて、政界の「汚れ役」を引き受けたと言われている人物である。
<ジュリア・ギラード豪首相(左)とベルデン・ナマ氏(右)>
元来、綺麗ごとでは済まない政治の世界のことである。
ナマ副首相のような「肝の据わった豪腕プレーヤー」がいなければ、あのように見事な議会クーデターを行うことはできなかっただろう。
1988年に勃発し、その後10年間続くこととなった「ブーゲンビル内戦」(第6章で詳述)の当時、ナマ氏は陸軍大大尉として革命軍ゲリラと戦った経験がある。
この内戦の解決のため、当時のパプアニューギニア政府は、南アフリカの白人傭兵を金で雇って投入し、ゲリラを鎮圧させようと試みたのだが、身内である陸軍司令官らがこの決定に大反対し、大きな政治問題となったことがあった。
この時、ナマ大尉もまた、「ブーゲンビル内戦は我々の内政問題だ。これら白人傭兵部隊のブーゲンビル攻撃を許さない」と主張、他の将校らと共にパプアニューギニア大学に立てこもり、多くの学生らを率いて一大反対運動を起こしたのである。
その結果、攻撃ヘリコプターまで装備していた白人傭兵らは全員身柄を拘束されて国外退去処分となり、当時のジュリアス・チャン首相は辞任を余儀なくされた(サンドライン事件)。
しかしその一方で、ナマ大尉も反乱を起こそうとしたと見なされ、逮捕・服役することになった。
約6年後に刑務所から出てきたナマ元大尉は、引き続き白人欧米諸国や多国籍企業に対する怒りを有しつつも、他方では身元の怪しい中国人などとも付き合いを深め、やがて、マレーシア系華僑が経営する木材会社との関係を深めることで、ビジネスマンとして「大成功」し、巨万の富を手中にする。
このあたりが、彼の政治家としての力の根源だ。
「政商」という言葉があるが、パプアニューギニアの政界を牛耳っている「政商」的な大企業と言えば、この、国の木材輸出の大半を独占しているマレーシア華僑系の「リンブナン・ヒジャウ社(RH社)」である。
かつてこの国の林業を長年かけて開発し、一時、大きな勢力を誇っていたのは、商社・日商岩井であった。
しかし日商岩井は、ある日突然そこから撤退し、その後に「RH社」は日本が開発した利権を一気に手に入れ、瞬く間に巨大企業へと成長したのである。
同社は、今では本業のほかに、巨大スーパーマーケットやレストラン経営、不動産業、ビジネスセンターやホテル経営にまで進出し、一大コングロマリットを形成している。
そして多くの現役閣僚が、このRH社から多額の「おこづかい」をもらっていたのである。
閣僚らは、金がなくなるとモレスビーのRH社のオフィスに足を運び、そこでマレーシア華僑の経営幹部が机の引き出しからドンと出した分厚い札束を「ありがたく」受け取ってくるのだという。
もちろん、それらの閣僚はRH社の言いなりだ。
このRH社の主要ビジネスである林業を管轄するのは林業省であるが、ナマ副首相は2007年以降、しばらく林業大臣を務めており、ここでもさらなる蓄財をしたと見られている。
すでに数年前の段階でも、ナマ林業大臣の名前を聞くと、「ブライバリー(賄賂)」というキーワードをとっさに口にする現地人は何人もいた。
今回の議会クーデターを成功させた功績により、ナマ氏は副首相と兼任する形で再び林業大臣に就任しており、かつての「巨大利権」を取り戻したと揶揄されている。
ナマ副首相については、サモアにおける土地取引がらみの「資金洗浄」の噂も根強かったが、いずれにせよ、彼は手元の「巨大資金」を元手として2007年に政界に進出、国会議員の地位を手に入れ、さらに膨れ上がったその潤沢な資金を駆使してオニール首相のための「議会クーデター」を起こしたのである。その点から見れば、彼はまさに「キング・メーカー」そのものであった。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」 pp.94 -97