インドネシア軍の戦闘機に追跡されたナマ副首相
この「クーデター未遂事件」で、ソマレ派は政治的打撃を受けて完敗するかに見えたが、まだまだ負けてはいなかった。
今度はソマレ派が流したのではないかとする様々な怪情報がメディアに流れ始めることになる。
中でも人々の耳目を集めたのが、なんと、オニール首相を擁護し、クーデター未遂事件を鎮圧した「陰の実力者」であるナマ副首相が、政界工作のための「巨額の裏金」を密かにマレーシアから運び、その途中にインドネシア軍に戦闘機に追跡された、というものだった。
これまで、多くの人々に信じられてはいたものの、あくまで「噂」にしか過ぎなかったナマ副首相とマレーシア系華僑による「林業コネクション」が、一気に表に出されたのである。
ササ元大佐のクーデター未遂事件から約2カ月前の2011年11月29日、一機のニューギニア航空・ファルコン900型旅客機が、マレーシアのクアランプール国際空港を離陸した。
当日は天候にも特に問題はなく、同機はパプアニューギニアの首都ポートモレスビーに向けて順調なフライトを続けていた。
一方、その頃のインドネシア軍情報部では、この飛行機の「乗客」と「搭載物」に大きな興味を持ち、その飛行ルートをウォッチされていた。
その「乗客」とは、数名のパプアニューギニアの国会議員と弁護士、非白人系オーストラリア人およびマレーシア人木材業者であるが、その中の一人は、なんとベルデン・ナマ副首相本人であったのだ。
この飛行機を操縦するクリストファー・スミス機長は、笑顔の穏やかな白人系アメリカ人であり、元アメリカ陸軍航空隊出身。
ニューギニア航空に入社してからはまだ2年ほどであったが、操縦桿を握ってすでに30年のベテランであり、腕は確かであった。
そのスミス機長は、インドネシアのスラウェシ上空を通過したあたりで、自分が異常な状況に置かれたことに気付いたであろう。
彼の視界に突然、高速で急上昇してくるロシア製スホーイ27戦闘機二機が飛び込んできたからである。
インドネシア空軍が、このニューギニア航空機に対して、世界最強レベルの戦闘機でスクランブル発進をかけたのである。
これらのスホーイ編隊からは、国籍を明らかにせよというアナウンスや、強硬着陸を求めるための「ワレノ誘導二従へ」的な警告行動はなかったものの、隣国VIPに対する友好儀礼的な対応ではなかったことだけは明らかである。
スホーイ編隊は、その後もナマ副首相の搭乗するニューギニア航空機がパプアニューギニア領空に入るまで、その両脇を固めるようにして延々執拗に警戒監視飛行を続けたのであったが、このことは約2ヵ月以上、表に出ることはなかった。
一部メディアの報道によると、このニューギニア航空機は「莫大な米ドル」を「違法に」運んでおり、その総額は2億5000万ドル(当時のレートで約191億円)にものぼった、という。
そして、このカネが、オニール首相の「議会クーデター」とその政権維持のために政界にバラまかれたのではないか、というのだ。
このような怪情報は、ササ大佐のクーデター未遂事件前後から、突然メディアに流れ始めたのであるが、時期的な情報のみならず、クーデター騒ぎでもその背後にチラチラとインドネシア軍の影が見えていたことを考えると、この情報の出所はソマレ派である可能性が高い。
これに対して怒りを爆発させたのは、現金と共に飛行機に乗っていたとされるナマ副首相本人であった。
この報道自体、自分があたかも巨額の現金を国外から違法に持ち帰ろうとしていた、と受け取られかねない内容であったからである。
このインドネシア軍によるスクランブル事件に怒ったナマ副首相は、自らテレビ出演し、
「2億5000万ドルものキャッシュを運ぼうと思ったら、ファルコン型旅客機が10機から20機必要になるではないか。インドネシア政府は明日までに、なぜ戦闘機をスクランブルさせたのかを、きっちり説明せよ!さもなければ、インドネシア大使を追放する!」
とやって怒りをぶちまけた。
一方、オニール首相は、この問題によってパプアニューギニアと隣国インドネシアの関係がこじれることを懸念し、火消しに躍起になった。
この大金が実際にどの程度のもので、かつ政界にどうやってバラまかれたかということは明らかではないが、インドネシア軍がスクランブルをかけたことはインドネシア軍当局も認めているし、かなりの部分で事実に近いのではないかと思われる。
そしてこの頃から、逆上したナマ副首相の行動が過激さを増していき、パプアニューギニアの政変は一層悪化していく。
平成25年7月25日発行
丸谷元人著『日本の南洋戦略』
第二章 謀略渦巻く「豪中戦争」 pp.104 -107