心配性をなくすためには?




From:リー・ミルティア

私が心配症と呼んでいる悪魔を紹介します。心配事があると、自分で自分の時間や、創造性や、お金や、心の平安を奪ってしまいます。心配する気持ちは間違いなく不必要な感情です。

ですが、何も心配事がなく暮らしている人など、ほとんどいません。

私たちは、自分たちの文化的基盤の中で心配することを教わってきました。心配という言葉自体、頻繁に使われています。将来を案じ、どうしたら全部やり終えることができるかと気をもみ、家族がどうしているか心配します。

世界の情勢にやきもきし、どんな将来が待ち受けているのか心配します。どう転んだところで自分にはどうにもできないような無数の事柄について心配しています。しかも、それが当たり前のように思われています。

今ここで、ちょっと立ち止まって心配するという行為に ついて考えてみてください。本当に当たり前のことですか?それとも、社会がそうさせているのでしょうか?

皆さんにはものの見方を改めてもらいたいと思います。  心配することは、解決策を見つけることとは違います。 そもそも脳は的確に心配できるほど十分な情報を持ち合わせていません。

皆さん、しっかりと向き合ってください。心配事を作りあげているのは自分自身です。肩に乗った小さな悪魔が、あなたの耳元でささやいているのです。「こうなったらどうしよう」「ああなったらどうしよう」「こうできなかったらどうしよう」と。

往々にして、あなたが心配している筋書きの方が、現実よりもずっと悪いものです。取り越し苦労や心配は心を不健康にします。

その結果、神経が張り詰めて、体も相応の反応を示します。ストレスで病気になることもあり得ます。
疲れきってしまうことは確実です。エネルギーが不足して、創造力が働かなくなります。

こんなことわざを聞いたことがあるはずです。

「臆病ものは何度でも死ぬ。勇敢な人は一度しか死なない」まさにそれです。これから起こるかもしれないことを怖がって暮らしているとどうなるか。

体力を消耗して、創造力が失われ、ふつうに挑戦できることや緊急の事態に対処できなくなります。

ですから今日は、肩に小さな天使を乗せて、宣言しましょう。目の前に橋が現れるまで、橋を渡る心配はしません。

問題の解決方法を見つけます、と誓いましょう。問題について心配して、被害者になることはしません、と。そもそも心配のし過ぎは事態を悪化させるだけです。

人生に費やすエネルギーを取り戻さなければいけません。現在という地に足をつけなければなりません。

現実に向き合わなければなりません。私は心の底からそ う思っているので、皆さんに伝えておきます。あなたは周囲の環境の被害者ではありません。

自分の内面の環境は自分で整えるのです。あなたが自らの思考と行動で自 分の人生を作りあげるのです。




関連記事