あなたもこうなっていませんか?
ほかにも人々にとりつく小さな悪魔がいます。恨みを抱くことです。恨みを抱いた時に傷つける相手は、ほかで もない自分自身です。恨みを抱くことによって、自分の 世界を真っ暗にしてしまいます。相手が自分にしたことやしようとしていることに対してイライラし、心を奪われてしまいます。自分に敬意を払ってくれない、感謝し てくれないと感じます。
相手の行動に納得がいかないのです。
誰でも恨みは抱いてしまいます。要は恨みを抱くことをやめられるかどうかです。
恨むことをやめたい理由の一つは、多くのエネルギーを消費するからです。一日に使えるエネルギーは限られています。一日に使えるエネルギーを大きな円グラフとして想像してください。
一日の大半が、自分にひどいことをする上司のことで占められていませんか。従業員や家族や親せきの場合もあるでしょう。近所の人や配偶者や子どもたちかもしれません
自分に悪いことをした人は際限なく存在しますし、誰の 周りにもそのような人たちがいます。
人間なら誰しも、そういう経験があるはずです。
そうは言っても、それでは毎日、吸血鬼に血を吸われているようなものです。そのことで頭がいっぱいになってしまい、将来の見通しも暗くなります。
そして、あなたを無愛想な老人のような人間にしてしまうのです。それもこれも、肩の上の悪魔が悪い方に向かうように指図しているからです。
今から言う事は、にわかに信じがたいかもしれません。 例外はありますが、誰もが自分の持てる知識や情報を総動員してベストをつくしています。
ほとんどの人は私たちに悪いことをしようとはしていません。ただ、自分のことを考えて行動しているだけなのです。
こう考えてみてください。私たちは一人ひとり、別々の世界に生きているのです。私たちは自分なりの世界で暮らしていて、本当のところは、程度の差はあっても、誰もが自分中心に生きています。自分のものさしに従って、自分のために行動しています。そして、時に他の人を不快にしてしまったり、境界線を越えてしまったりします。ほかの人を傷つけてしまうのです。
そうしたことに対する恨みを抱き続けこともできます。 恨みを抱いたままでも構いませんが、それでは大事なエネルギーを奪い取られてしまうだけなのです。
いつも怒ってばかりいることも悪魔の一種です。怒ることは恨みを抱くこととも関係しています。
何かにつけて腹を立てる人たちがいます。すぐに侮辱された、傷つけられたと感じる人たちがいます。
いつも憤慨しています。
癇癪持ちの幼い子どもと大差ありません。
誰でも怒ることはあります。けれども、その怒りに固執 することは、やはり自分にとっていいことではありません。健康が損なわれます。困難な状況で解決策を見出す能力が奪われます。可能性に対する視野を狭めてしまいます。リスクを負うことを不可能にし、新しいことに挑戦できなくなります。
私も皆さんと同じようにそういう行為に走ってしまうことがあります。ですが、その時には片方の肩に悪魔が、もう片方に天使が乗っているのだと自覚します。もう一度、その様子を想像してみましょう。
そしてあえて言うのです。「いいでしょう。許します」
「自分を許すことにします」と言います。なぜなら、怒 りの多くは自分に向けられたものだからです。
夜、寝る前になって、親として満点ではなかったと打ちひしがれる人もいます。仕事でチャンスを逃したことや 既に起きてしまったことを悔やむ人もいます。
完璧に対処できなかったことを後悔する人もいるでしょう。
完璧な人などいません。いまだかつていたことがありま せん。完璧な結婚生活や子どもなどあり得ません。完璧な事業や仕事や家庭などありません。
地域や、近所の人たちもそうです。いくらでも挙げられます。どこまでいっても完璧などないのです。
完璧なものなどありません。私は起業家ですが、一日の 終わりになって「何をしていたのだろう」と自分に腹を 立て、苛立つことがあります。
何かやり遂げたのか? もっとできたのではないか。もっと営業活動ができた。あれもできたのでは。これも できたはずだ、と。怒っている時は、こうした考えが際 限なく頭の中を巡ります。
そうなった時には、それが何であれ、完璧にできなかったと感じることを受け止める以外に解決策はありません。完璧でなくてもよいと自分を許すのです。
また新しい明日がやってくるのですから。