歴史 2018/02/22

誰が「マッカーサー・ライン」の地図を発見したのか


悲劇の論文「アラスカ鮭と公海」

「マッカーサー・ライン」を示した稀な地図について、私個人の悲しい思い出がある。ワシントン大学の大学院生(修士課程)だった時、アラスカのイクラ造りから帰ってきた後、鮭漁研究で著名な地理学者のクーリー教授のクラスを取った。

院生3名とクーリー先生の楽しい研究ゼミだった。私の研究論文は「アラスカ鮭と公海」というタイトルで、海洋法と日米外交について考察した80ぺージほどの長さだった。クーリー先生から絶賛された。この論文の中に、アメリカの歴史学会、国際海洋法学会、水産学会等で「幻の地図」と言われていた「マッカーサー・ライン」を描いた地図を入れた。


世紀の大発見

この地図を発見したのは、論文を書きながら大学の「地理学部図書館」でアルバイトをしていた時だ。目の眩むような数の古い地図やバラバラの書類が山積みにされた一室があり、それらを国別、科目別、年代別に整理・整頓するのが私に与えられた仕事であった。昔から地図を見るのが大好きだったので、「できないよう」とボヤキながらも楽しく働いていた。

埃にまみれ半分壊れた段ボール箱が現れてきた。茶色に変色した書類がぎっしり詰まっている。バラバラの紙を一枚一枚めくりながら、「これは日本を占領していたアメリカ軍の資料ではないか」と思いつつ、年代別に整理していたら、GHQ(連合国軍総司令部)の自然資源部が出版した一冊の資料本(300頁位)が出てきた。日本の悲惨な食糧事情が克明に記述されていた。その中に「マッカーサー・ライン」と示された地図が載っていた。

私自身「これは大発見」と分かった。クーリー教授に提出した私の研究論文にその地図のコピーを掲載した。クーリー先生は「この論文は出版されるべきだ」と誉めてくださり、ワシントン大学ロー・スクール(法科大学院)のラルフ・ジョンソン教授にも読んでもらうよう勧められた。

ジョンソン教授は、海洋法の大家である。北太平洋漁業に関する国際法では世界でも第一人者だと言われていた。私も彼の名前は間いたことがある。背が高くほっそりとして、いかにも有名な「大学教授」という雰囲気を持っていた人(白人)だった。

教授も私の論文を絶賛してくださり、「ニュー・メキシコ大学のロー・スクールが発行しているNatural Resources Journal(『自然資源に関する法律学誌』)が良いのではないか」と言われた。

ここから、いやな話になる。


失墜した権威

「このマッカーサー・ラインの地図は大発見だ。私も永い間必死で探していたのだ。どこにあつたのだ」と尋ねられたので、発見の過程を説明した。

「この地図、貸してくれるかい」(May I borrow this map?)

「はい」と答えた。

英語の「borrow」は、「参考のため、しばらく貸してくれるか」であり、自分の論文に使うという意味ではない。特に、学者たちの間では他人の発見を盗み自分のモノにする行為は、最悪の恥とされている。

数ヵ月後、海洋法の大家ジョンソン教授は、この地図を自分の論文の中で使い、ワシントン大学法科大学院出版の法律学誌に発表した。私がこの貴重な地図の入った研究論文を出版することを知っていながら盗用した。

彼が盗用した地図は『ワシントン・ロー・レビユー』(1967年10月号)の43頁に載っているが、誰がどこでどういう文献から引用したかについて一言も触れていない。私に対する感謝の言葉もない、どころか私の名前もない。ジョンソン教授でさえも盗用するぐらいの稀な発見であったのだ。


失望のなかで

当時私は調査・分析はできるようになりつつあったが、英語力はやっとまともに文章が書ける程度であった。その留学生が書いた論文からなんの断りもなく盗む人が大学教授として、専門の大家として君臨しているのだと認識した時、怒りもあったが、裏切られたような悲しさと失望が強かった。



私が日本人留学生だから、人種差別の魔が差し、「盗んでもかまわない」と思ったのか。

私の論文はニュー・メキシコ大学から出版されたが、その編集長から「マッカーサー・ラインの地図はすでに『ワシントン・ロー・レビュー』で発表されているので削除する」と言われた。

その後、キャンパスでジョンソン教授と顔を合わせる時があったが、彼は怖いものを見たかのように私を避けていた。彼の歪んだ表情は、良心の呵責だったのだろう。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第3章「アラスカ半島でイクラ造り」−15


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