歴史 2018/12/20

若者に感動を与える国へ


日本 vs. 米国

ところで、平成日本はアジアの国か。世界の日本か。

「競争」しないで「共存」と美辞麗句を並べても、現実は凄まじい競争だ。負けたら、精神的にも物質的にも惨めな国となる。日本が負けたら、勝った近隣諸国が共存しようと日本を誘ってくれるのか。中国、韓国、ロシア、インド、オーストラリア、トルコが競争相手ではない。イギリス、ドイツ、フランスも日本の競争相手ではない。

相手は、アメリカだ。

アジアで勝っても、ヨーロッパで勝っても、アメリカに負けたら世界で負けている。アメリカに勝ってはじめて、世界で勝っていることになる。

アメリカに武力で負けた後、一九八〇年代に経済で戦い、勝ったと喜んだのも束の間で、九〇年代にはまさかと思うほどの早さで完敗し、とうとう最後の戦いの時が来た。


魂力の激突

それは文化力と精神力の戦い、「国の魂」を賭けた戦いである。

アメリカと日本の「魂力」が激突し、勝った国が負けた国の魂を扼殺する。敗者は、身も心も征服され、勝者の文化植民地となり消滅する。この魂をめぐる戦いは、キリスト教を土台として建国したアメリカから見ると「神」と「悪魔」の争いで、負けると地獄に落ちてゆく「善悪」を賭けた宗教戦争なのである(米国の対イスラム・テロとの争いも終わりのない陰惨な宗教戦争の雰囲気を醸し始めた)。

「国」という存在がある限り、国境を破られると生命が危機にさらされる。気力と武力に乏しい日本は、ギラギラと戦闘心を剥き出しにしているアメリカの「文化・言語植民地」にされるかもしれない。文化植民地に成り下がらないために、日本語を守れ。


日本語防衛戦

日本語が日本の「国境」である。

日本語を潰されたら日本が崩壊する。日本語の中に、日本人の「心」と「精神」と「魂」が宿り、それが国の幸せや不幸を越え、激動のうねりにも敗けず、我々の夢とロマンをかき立て、 我々の命に感動やときめきを与えてくれる。

言の葉は命の河。言葉が生きている限り、文化は死なない。日本語は日本文化の鮮血で、文化の遺伝子を育む。日本語の中に我々の歴史と未来が息づいている。


日本の底力

二〇〇二年六月、日韓共催サッカー・ワールド・カップで、国歌と国旗にアレルギー的な拒絶反応をしていた日本の若者たちが、日本代表のユニフォームを着て、顔に日の丸を描き、君が代を涙をこぼさんばかりに熱唱しながら全身全霊で日本を応援していた。

「今の若者」は昔の若者と同じく、心の感動を求めている。物質的な満足よりも、魂・命の感動を求めている。

今の若者に感動の場を与えていない日本の政治、日本の教育、日本の社会に問題があるのではなかろうか。「今の若い者はダメだ」と言っている老人たちが多数いるが、ダメな若者を育てたのは誰だ。機会さえ与えられれば、日本を慈しむ若者は偉大な世代へと成長してゆき、歴史と文化に富む日本を誇り高い国として復活させてくれる。




西鋭夫著『日米魂力戦』

おわりに -7


関連記事