歴史 2017/09/27

為政者の良心


マッカーサー先生への送辞


平和条約に署名して2日後、マッカーサーの忠実な生徒であった吉田首相は、この恩師に敬虔な気持ちを表明していた。

「私の心と日本国民の心は、限りない感謝の気持ちをあなたに捧げております。敗北し、打ち拉がれた国を復活と再建の道に導いてくださったのは、あなたの堅固な心の篭った教えだったからです。我々がやっと手に入れた公平で寛大な平和の原則について、絶えず教育して下さったのは、あなたです。日本国政府と国民の名において私はあなたに心からの感謝を送ります」


後任登場


しかし、占領が終結した後、5月22日に、吉田首相は恩にきるものが何もなかった。マッカーサーの後任、マシュウー・B・リッジウェイ将軍には、日本が欲しいと思っているものを単刀直入に伝えた。

「政治的貸し付けということを、アメリカはとても嫌がっていることを、私はよく知っております。しかし、私は、今この時期にアメリカが日本に財政援助をすることは、共産主義に対する防御を強める経済的手段であるばかりか、政治的武器になるという極めて重要な意味を持つと思います」


吉田の弁明


レッドパージは大成功を納めたが、国民の基本的人権を犯したのではないかという疑惑について、吉田首相は自分の責任回避をすることに懸命であった。


「共産主義者だからという理由で、または政府や世論とは違う思想を持っているからという理由で職を追放されたことはなかった。しかし、当時の共産主義者の態度やパージの間の態度はこうした連中が、彼等を雇っている会社や産業にとって潜在的脅威であったので、将来のトラブルからこれらを防ぐため、政府は共産主義者たちの追放を正当と見做した」「憲法は、共産主義者を犠牲にしてでも守らなければならなかった」

と回想している。


憲法の「命」


共産主義者たちがいかに不人気であろうとも、「赤狩り」がいかに国民から支持されようとも、それらの人々の生活権までも「人身御供」として日本国憲法は必要としない。

憲法の「命」は、良心の「死」で保たれるものではない。

絶えず騒々しく、虚しい理想郷を大袈裟に宣伝する日本共産党が、この資本主義の日本列島で共産革命に成功する可能性は皆無であったのだ。


盛者必衰の理


むしろ、優れた第六感を持っていたマッカーサー元帥と吉田首相は、民主主義が芽生え始めた日本で、共産主義者たちががなり立てた不協和音の中に、澄み通った純粋な音を聞き取ったことであろう。

その真理の音は、目先の損得勘定だけで、思想や人を判断する者たちの濁った心に突き刺さり、その一瞬、良心の呵責という真の人間性を目覚めさせる。

「盛者必衰の理」とは、この音を無視した驕れる者たちが受ける運命の掟なのではないのだろうか。

関連記事