日本病
回復の見込み
自民党政府は「構造改革」をしない。できない。これからまた10年の辛抱が続くのだろう。
その間の経済成長は微々たるものなので増税が毎年行われ、ついに国民の怒りが大改革を要求し、日本病が回復に向かうのである。
平成日本は徳川幕府の末期と似ている。あの時、天下の徳川が潰れるとは、誰も想像さえもしなかった。だが、人心は大きな変化の地鳴りを聞き、時のうねりの振動を肌で感じていたのだ。
私は10年間も待てないので、胸に詰まっていることを言わせてもらう。
病状
コンクリートだけでも、恐ろしい話がある。
日本国土は、カリフォルニア州より少し狭い。その日本が使ったコンクリートの年間総量は、米国全土で使われたコンクリート総量よりも多い。アメリカ大陸の大きさと日本列島の小ささを比較してもらえば、「から紅に水くくるとは」と和歌にも詠まれ輝いていた日本の山河を灰色の溝にした張本人の顔が見えてくる。
食べ物でも、いやなカラクリがある。
日米間の家計で、食費が占める割合がびっくりするほど違う。米国では、食費が家計の10%。日本では、25%。日本で生活が苦しいと言われるのは、アメリカ人より2.5倍も食費に使っているからだ。
日本人が食べる農作物や海産物はほとんど輸入である。「浅草海苔」は浅草製ではない。東京・浅草に浅瀬の海はない。とうの昔に埋められた。
日本の農業には跡継ぎもいない。農家の若者が農業を専業にしたくない。地方の若者は東京や大阪に出たまま帰ってこない。農業を教えていた定時制高校も閉校する県が続出している。事実、農業従事者の平均年齢は、65歳から70歳である。農業は国内総生産のわずか2%弱であり、農業に携わる人口は、園芸農家を勘定しても、僅か6%である。
農村の原風景
私は大阪市で生まれたが、4歳の時、米爆撃機B29から豪雨のように降ってきた焼夷弾(火災を起こす爆弾)を避けるため、母方の岡山県の農村・城下町に疎開した。
16歳まで、絵のように美しい山々に囲まれ、田舎道のあちこちに真っ赤な彼岸花が群生し、清流の河原に月見草が咲き乱れ、田植え前の田圃は薄紫と淡い白と桃色のレンゲの花でびっしりと覆われていた。
印象派の風景画のような美しい農村で、少し暖かくなると源氏蛍が舞った。カエル、トンボ、セミ、チョウチョ、キリギリス、カブトムシと、昆虫王国だった。青大将を2度掴み取りして、2度失敗した。歯形が左親指に「勇気の証」として長い間残っていた。
手入れの行き届いた田圃が淡い緑から黄金色に変わり、季節を映し出していた山間の自然のなかで育ち、農村と農業には強い愛着とロマンを持っている。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第4章「国の意識」の違い –15