歴史 2017/11/22

日中国交回復の真相


ニクソン訪中

ニクソンは、1972年2月21日に北京を正式訪問し、満面に笑みを浮かべ、毛沢東主席と握手をし、世界中からの脚光を浴び、8日間の日程を「平和のための旅である」と言った。

毛沢東独裁の中国は高笑いで、日本は泣いていた。

北京で毛沢東と会談するヘンリー・キッシンジャー。その奥中央は周恩来。


田中・ニクソン会談

泣いてばかりはいられない。田中角栄首相は、同年8月31日から翌日の9月1日まで、ハワイでニクソン大統領と会談し、「日本も中国を認めろ」と言われたのだ。

この会談中、ニクソンは田中に、ロッキード社製のエアバスやトライスター航空機等を購入してくれるように要請した。

世界最大国の大統領が、飛行機製造会社のセールスマンになり果てた異様な光景である。ニクソンとロッキード社は「金」で結ばれていた。ロッキード社はニクソンの「金づる」だつた。田中首相は謝礼金として、総額36億円をロッキード社から貰うことで手を打った。


日中国交回復

同年9月25日、田中首相は米外交から独立して反撃に出たかのごとく、北京に入り9月27日に毛沢東主席と会談し、国交を回復した。

中国は待ってましたとばかり、日本から多大な援助を巻き上げることに成功した。

日本の動きは、米政府(キッシンジャー)を通して、中国に筒抜けであったろう。

毛沢東は、1976年9月9日に北京で病死した。ニクソン訪中から7年後、1979年1月に中国と米国の国交が樹立した。米国は、時間をかけて中国と国交を結んだのだ。



西鋭夫著『日米魂力戦』

第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−22

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