戦歿者を踏み躙る国家
国の神社
「The Wall(壁)」と呼ばれるデザインは大騒動になった。銅像に慣れ、そのようなモノを期待していた人たちは猛烈な反対運動を始めたが、「壁」は首都ワシントンに建てられた。
V字型で、鏡のように磨かれた長さ150メートルの真っ黒な御影石に、ベトナムで戦死した将兵5万8229名の名前が刻まれている。全米の記念碑と名のつくモノで、最も沢山の人が訪れるのは、この「壁」である。
1982年の除幕式から毎年100万人以上の人たちが墓参りに来る。
この壁の前に立つ人は一語も口に出さず、震える指で刻まれた名前に触れる。
息子か娘か、兄弟か姉妹か、父か、夫か、恋人か。静寂の中、泣き声が漏れる。
米国民は「National Shrine(国の神社)」と言う。追悼の神社である。
アメリカの強さ
豊かな米国を残酷なまでに苦しめた戦争。東南アジアを引き裂き、鮮血の惨事を15年間も続けたアメリカの醜い戦い。
アメリカの「おおらかさ・無邪気さ」を永久に失わせた戦争。勝利の歓喜もなく、善戦の満足感もなく、敗戦の痛恨と後悔だけが残った戦争。
参戦した将兵250万人を「人殺し」「赤ん坊殺人鬼」と侮辱した15年戦争。
米国民は、いかなる理由であれ国のために戦い亡くなった人たちに、敬意と感謝と追悼の想いを捧げる。
この想いがベトナム戦争の深い傷を癒し、アメリカを強く復興させた。これがアメリ力の精神力の強さ。アメリカン・ドリームを支えるエネルギーであろう。
戦後を引きずる国民
ベトナム戦争をあれだけ容赦なく非難した日本は、戦後60年も経ったのに、いまだ戦没者への追悼もせず、靖国神社に参拝してもよいかどうかで恥をも感じず喧嘩をする。
近隣の国々までが「参拝してはいけない」と助言をしてくれる。教育が大好きな日本の学校では、「慰霊・追悼・感謝」なぞ禁句であり、死語同然である。
魂の入ってない教育をする日本に、歴史は残るのだろうか。
日本人の心の中で、「アジア・太平洋戦争」はいつ終結するのだろう。平成日本が昭和から引きずってきた「戦後」は、いつ終わるのだろう。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−35