歴史 2018/08/23

小切手外交の成れの果て


「日本、金を出せ」

湾岸戦争は米軍の圧倒的な武力で僅か4日間(100時間)で終わった。日本国内で「戦争反対」の叫び声が山彦のように消え去っていない時、戦勝国が「日本、金を出せ」と恐喝してきた。手助けもしない日本の石油ルートを守ってやったので、謝礼金を要求してきたのだ。海部首相が1兆円(当時の90億ドル)の大金を提げて、サンフランシスコへ飛んできた。

サンフランシスコの南、車でゆっくり走って2時間、風光明媚な太平洋岸の世界的に有名な(日本が買った)ペブルビーチ・ゴルフコースでくつろいでいたブッシュ大統領(現大統領の父)は、日本からの貢ぎ物を取りに来た。ホワイト・ハウスで感謝の夕食会でもあるのかと思いきや、海部首相はトンボ返りで成田へ帰らされた。



感謝されない日本

米国政府は感謝の気持ちを表明していない。マスコミも無視した。救われたクウェートも日本に感謝の言葉を述べない。いや、感謝どころか、日本は侮辱された。クウェート政府は米国最有力紙『ニューヨーク・タイムズ』に大きな感謝状を掲載し、クウェート解放に加勢してくれた国々の名を挙げた。「日本」は入っていなかった。

日本があれだけ反対した湾岸戦争に、なぜ1兆円も差し出したのか。米軍が圧勝した後、金を出したので、戦争反対の基盤がより一層不透明になり、日本が漁夫の利を得ようとして、どちらにもつかず様子を見ていたのではないかと疑われたのだ。

日本の信念を見せるためには、あの1兆円は出してはいけなかった。日本の戦争反対を断固とした国策として世界に訴えるためには、絶対に出してはいけなかった。「用心棒代」と言ってきた米国は、日本が拒否していたら激怒したろうが、日本を根性のある国として尊敬していただろう。


道義上の失態

だが、第一次湾岸戦争は日本にとって「銭」の次元ではなく、もっと怖い道義上の失態であった。日本の日和見外交が、世界の舞台であからさまにさらけ出された事件と見るべきだ。日本が自らすすんで国連軍に参加していたならば、米国民が日本に対して持っている根強い不信感は暗雲が消え去るごとく解消していた。米国は感謝と尊敬の気持ちを持って日本に対応をしていただろう。

箱庭で絶対平和を唱えていた日本人は、外から本物の戦火が降り注いできた時、適切な対処ができなかった。日本国民は、「戦争反対」「憲法第9条」だけでは説明もつかない世界に住んでいる。日本に「国」としての世界観(将来図)が存在しないので、第一次湾岸戦争の世界的な意義が理解できなかった。日本が世界大国になる絶好の機会を見逃したと見るべきである。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 –12


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