歴史 2017/12/11

地に堕ちたアメリカ


ベトナム戦争の終結

(20)1975年4月30日午前10時15分、崩壊していた南ベトナムは無条件降伏した。ケネディ大統領が1960年に南ベトナムに米兵を出兵させてから、15年間の永い残酷な戦争が終わった。

世界の強兵アメリカの完敗である。屈辱的な逃走がベトナム戦争の最後の画像として米国民の脳裏に焼きついた。

「アメリカ敗走」と同時に、米マスコミは「ベトナム戦争」を完璧なまでに締め出した。それまでは毎朝毎夕絶え間なく流れていたベトナムのニュースで、人心が精神分裂を起こすのではないかと思われるほどであったのに......。


屈辱の敗北

民主主義と富の模範生であると自他共に認めていた米国民が、遠く離れた東南アジアに侵攻し、15年間も戦って、ベトナム、カンボジア、ラオスで数百万人の戦死者を出し、そして敗れたという悪夢に直面し、激しい自己嫌悪に陥ったのであろう。

300万人以上のベトナム人が国外へ逃げ、数十万人のボート・ピープルが南シナ海で海賊に襲われ、殺されるか溺死し、さらに数え切れないほど多数の南ベトナム軍の将校や政府要員が、北ベトナムの「再教育収容所」で死んでいった。

米国内で「ベトナム戦争」は汚い言葉となり、ロに出してはいけない「音」となった。

永い、永い沈黙が続く。


変貌するアメリカ

私が留学をした1964年のアメリカは富めるおおらかな国であったが、1975年のアメリ力は荒廃し殺伐とした国に変わっていた。自信と富を失った国民が次の夢もロマンも見出せず、自己懐疑の激痛に耐えながら放浪している寂しい姿である。

「光」のない歴史の影を見た。

辞職したニクソンの後、副大統領のジェラルド・フォード(共和党)が大統領になった。素朴で良い人と評判が高かったフォードは、敗戦と政界スキヤンダルで打ちひしがれたアメリカを回復させてくれるのではないかと思われたが、ニクソンと密約があったのか、ニクソンに全面恩赦を与え、国民を激怒、幻滅させた。



ニクソンとロッキード社

米国内でニクソンに対する怒りが収まらない。ベトナムの屈辱は悪人証明済みのニクソンがさらなる悪行を働いたからではないか、と怒りの矛先をニクソンの過去に向けた。

ベトナム戦争で儲けをしたロッキード社は、戦争が終わると純利益が減少することは明らかであったので、ニクソン政権を使って強引に海外輸出で利益を維持したいと謀った。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−29


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