歴史 2018/12/17

問われ続ける日本の責任



時効なき戦争

アジア・太平洋戦争の責任に対して、「日本は無罪だ」「アメリカ・イギリスがあの戦争を仕掛けた」と言い訳をしているのではない。日本にも重大な戦争責任がある。勝敗で戦争責任の「割合」が決まるのではない。日本が勝った戦争での責任は問われず、昭和二十年の真夏に無条件降伏した戦争の責任だけが問われている。あの戦争で勝った国々の戦争責任なぞ聞いたこともない。

そして、世にも不思議な現象が起きている。日本だけ「時効」がないのだ。

第二次世界大戦の勝ち組は、恒例行事のように日本に「謝罪」を要求し、日本も針でさされたかのように反射的に謝罪する。謝罪の誠意を示すため、「お金」(ODA ・援助金・コメ・軽油燃料)をつつむ。金を受け取った国々は感謝もしない。日本が何度謝罪しても、数十兆円の謝罪金を出しても、許して頂けない。


謝罪外交

近隣戦勝国は日本国民の謝り方に文句があるのか、日本人が差し出す金の額が少なすぎると思っているのか、日本の「戦争責任」を執拗に追及し続ける。日本人を見下し、戦争に勝ったという優越感だけを盾にして、日本人を罪悪感の底なし沼に陥れようとしているのだろう。

「許す」と、日本から金を取ることができなくなる。戦勝国は「戦争は悪だ」と言いながら、悪の見返りを敗戦国日本から毎年巻き上げている。平成日本は、近隣諸国から「許し」を得るとはどういうことなのかと自問すべきだ。

日本は、アジアで悪行を働いたという引け目を克服するかのように、「これからはアジアの時代」という流行語を作り、アジアに日本円経済圏を作り、発展途上国を効果的に援助しようと企画したが、アメリカに「勝手なマネをするな」と恫喝されて、一夜にして潰された。


懺悔はいつまで続くのか

二五〇万から三〇〇万人の日本人戦没者を出し、生き地獄を見せられた戦争から六〇年も経つ。 六〇年前マッカーサーが連れてきた米軍進駐軍はまだ同じ基地に駐留している。日本国民は第九条の言葉通り武器を捨てた。国旗・国歌も無視し、愛国心までもを死語にし、国防は軍国主義だと見なし、平和のためだと思い、「国」という観念までも捨てた。


この惨めな永い年月は、日本人が戦争責任を認め懺悔の姿を誠意を込めて世界に示した証である。這いつくばり、顔を踏みつけられながら六〇年間謝っても、許してもらえない。

しかし、もう許してもらわなくてもよい。許してくれなくてもよい。



西鋭夫著『日米魂力戦』

おわりに -6



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