歴史 2017/11/24

切り捨てられた台湾


中国の国連復帰

米政府は日本だけを見捨てたのではなく、太平洋戦争で米軍の戦友であった台湾も捨てた。それも残酷な捨て方である。

ニクソンが「中国を認める」と宣言した1971年7月から3ヵ月後、アメリカの指図で国連に中国(毛沢東)が「復帰」した。台湾(中華民国)が安保理の常任理事国であったが、米政府はその地位も剝奪し、宿敵の中国に与えた。

公の場で屈辱をなめさせられた台湾は、国連から脱退した。米国は中国を常任理事国にしてみたものの、以後中国に絶え間なく邪魔をされ、罰があたったかのように苦しんでいる。

ニクソン大統領(左)と周恩来首相(右)


ドル・ショック

第2弾のニクソン•ショックは「金・円」への衝撃である。

中国ショックから2ヵ月後、1971年8月15日、ニクソンは「ドル=金」の交換を停止し、ドルを「防衛する」と発表した。それまでは、アメリカの銀行へドル紙幣(沢山)を持ってゆくと純金の延べ棒と交換してくれた。

東京外国為替市場ではドル売りが殺到する。終戦からその時まで不変であった1ドル=360円が、どこまで落ちてゆくのかと恐怖に駆られた日本経済は、麻痺状態に陥った。

東京証券市場では日本史上最悪の暴落率を記録する。12月20日には1ドル=308円にまで落ちていた。アメリカの自分勝手な振る舞いは、「日米経済運命共同体」を誓っていた日本に対して、再び事前警告の一言もなく実行された。

日本はまた殴られ、泣かされた。


昭和天皇の訪米

米政府も日本に対して悪いことをしたのかなと自責の念に駆られたのか、昭和天皇が日本史上初めて米本土(アラスカ・アンカレッジ市)へ降り立たれた時(1971年9月26日)、ニクソン大統領は天皇陛下を出迎えた。

天皇と米大統領が対面したのは、この時が最初である。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−23


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