共通の歴史認識はあり得るのか
友好隣国の欺瞞
近年、私は帰国するたびに、「日本と隣国は同じ歴史的認識を共有しましょう」という台詞をマスコミで見たり聞いたりする。この友好的な言葉の裏に隠されている意図は、陰湿・邪険である。「日本」を否定した半世紀前の占領政策を思い起こさせる。
(1)「同じ歴史的認識」とは、アジア・太平洋戦争だけに関した「歴史」のことで、日本が負けた戦争についてだけだ。
弱みにつけ込む「友好隣国」の下心が見え隠れしている。近隣諸国は、日本の小学校の教科書まで検閲して、一語でも癇にさわれば「侵略肯定」「軍国主義復活」「反省なし」と日本を非難する。
日本人を罪人にしたまま、これから100年間、金をむしり取るつもりなのだろうか。日本人が自尊心に目覚め、心身共に自立し、外圧に右往左往しない国民になりたいと思い始める前に、日本人の「歴史観」を歪めたいのだろう。
国の歴史とは
(2)国はそれぞれ「国の歩み」、自国の歴史を綴る。国と文化が違えば、戦争と平和が織りなす絵の解釈も自然と異なってくる。日本の解釈が隣国の「真実」と違っていても重大な外交問題ではない。違っているのが当然な時もある。
(3)私が「陰湿」「邪険」と激しい言葉を使うのは、隣国が日本悪者論を日本人に鵜呑みにさせようという意図が見えるからだ。
日本人が振り返り、そこに栄光と挫折、夢と失望、誇りと後梅、希望と絶望をみる。振り返った時、心に強く感じた想いが国の歴史であり、その歴史が我々の鏡となる。
歴史に映った国の姿、国の生き様を見て、我々は「日本人」を自覚し、心の中に生まれ故郷(母国)に対する慈しみを育むのである。この慈しみが日本精神文化を存続させる遺伝子(DNA)である。
無防備平和論のツケ
近隣諸国に「日本の歴史認識云々」と言われなければならないほど、日本人は無能ではない。
栄光に輝き、歴史の凱旋門をくぐった時、血を流し、殺し、死んでいった瞬間を日本人は忘れはしない。日本は歴史を大切にする国だ。日本が歩んだ道は、日本人が認識している。太平洋戦争の「前後」だけが日本の歴史ではない。
道徳観と歴史観と、自尊心と誇りが危機的に欠如している戦後教育で、偶像のように崇められた「無防備」のツケが今や弱々しい平成日本の姿。近隣諸国は、せせら笑いながら小太りした筋力のない日本を食い物にしている。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第4章「国の意識」の違い –7