不況の元凶
誰のための改革か
日本経済が方向違いの下り坂(デフレ)に走り出した。増税は退職者の「所得・利子を減らさないために」という理由だが、経済全体の成長を犠牲にした、その場しのぎの無責任政策である。経済はさらに悪化する。この悪化を止めるため、消費税を即座に廃止すればよいのに、政府はまた方向違いの増税(一例、医療費30%負担)をした。
「経済改革」「政治改革」「金融改革」「教育改革」と、選挙のためだけの公約が祭りの後のチラシのように、ゴミのように、日本中に散らかっている。「改革」という漢字が持っている意味と、政治家たちが公約している改革との間に生じた深い溝は、埋まることなくさらに深くなってゆく。
津々浦々に、あきらめと、しらけと、鬱積された怒りが蔓延し、日本が暗い闇の中へ引きずり込まれている。
暗い長いトンネルで、先が見えない。これから暗い闇を歩き続け、やっとトンネルを出ることができ、私たちが光に面した時、日本はどのような国になっているのだろう。世界はどんな形になっているのだろう。歴史に例外がないように、強い国が弱い国を貪っている戦国絵巻だろうか。日本は試練を克服し、偉大な国になることができるのだろうか。それとも、耐えきれず、極東の島国として衰退してゆくのか。
フーバー研究所の日本評
先日、フーバー研究所で毎日3時半から始まるおやつの時間(コーヒーとクッキー)に、日本について、雑談になった。アメリカで著名な学者たちの質問は、「不況の元凶である不良債権と経営無能の銀行をなぜ早く解決しないのだ」から始まり、「日本はまた10年、不況脱出の案をのらりくらりと模索するのであろう」で結論。私を見ながら「かわいそうに」と同情心を顔に表している。
日本国民を苦しめている平成大不況は、もはや経済不況ではなく、派閥政治による行政無能が引き起こした経済破綻の悲劇である。政治は政治、経済は経済、の世界ではない。日本経済は成熟しており、政治と経済を分離して金儲けだけに専念することはできないほどの巨大な規模である。日本経済の根は世界中に広がっており、外交や戦争を無視して「経済再生」だけに集中することは、不可能だ。
大規模で成熟した日本経済は、行政機関が規制を城壁のように作り上げ、その壁の裏からあれこれ指導しきれるものではない。市場経済で1番大切な消費者が、経済の形や中身を決定しなければならないのだ。行政機関が経済に口を出しすぎている。
責任を取らない日本の政治
平成不況の責任は、50年間政権を独占している自民党と、一党独占に便乗して権力を手に入れた官僚たちと、それらの権力におもねっている企業にある。経団連を筆頭に政党に献金をする大きな企業は、世界から見た日本の現状を良く知っているはずだ。金を出すなら、口を出して良いのだ。
米国には共和党(ブッシュ、レーガン)と民主党(クリントン、カーター)があり、国民の前で両党の候補2人が1騎討ちをして、1年以上戦う。日本の選挙運動期間は短すぎる。現役有利で、新人が出場できないシステムだ。米国民投票で新しい大統領が選出されると同時に、官僚のトップ・クラスが総入れ替えになり、大統領の意思が政策に反映され、国の政治と経済が変わる。日本では、高級官僚の入れ替えどころか、首相が次々と入れ替わる。
日本で経済が成長していた時には、「自民党のおかげだ」「日本の官僚は世界一優秀である」「日本の企業は世界のリーダー」「日本の農業は世界の模範だ」と自画自讚をしていたが、大不況になり身動きできなくなった時には、誰も責任を取らない。あたかも、悪いのは取り残された「国民」であるかのようだ。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第5章 戦争と平成日本 –14