歴史 2019/03/11

ペリー提督とマッカーサー


戦艦ミズーリ号

以下、マッカーサーの教育改革と憲法改定(特に第9条)について検証してみたい。根性なき戦後日本の原点を見る思いになるだろう。

1945年9月2日、日本と連合国軍が米艦ミズーリ号上で降伏文書に署名した直後、マッカーサーは次のようなメッセージを米国国民に向かって放送した(ミズーリ号は、私が長く住んでいたシアトルの近くにあるブレマトン海軍港に、アメリカの歴史上重要な「記念館」として停泊している。私は二度訪れたことがある。ヴェトナム戦争中、ミズーリ号は参戦した。1997年からホノルルに永久停泊することになっている)。

米国民へのメッセージ

「今日、銃声はやんだ。大きな悲劇は終わった。偉大な勝利が勝ち取られた。……ここに、神聖な使命は達成された。今日、われわれは92年前のペリー提督のように東京に立っている。彼の目的は、日本に世界の友好、貿易、商業に対して孤立のヴェールを取らせ、日本に開明と進歩の時代をもたらすことだった。しかし、悲しいかな、西洋科学の知識は人間の抑圧と奴隷化の道具となった。表現の自由、行動の自由、そして思想の自由さえも、自由な教育の抑圧や迷信および暴力の使用によって否定された。われわれはポツダム宣言によって、日本国民がこの奴隷状態から解放されるのを実現すると約束した。……日本の軍隊の解体や戦争能力の無力化も、同様にすばやく達成する」

日本の降伏に当たって、マッカーサーがペリー提督に敬意を表したのは意味深長だ。ペリーは、日本に領土拡大を正当化した帝国主義という、後戻りのきかない道を開いた人物であったからだ。

ペリーを引き合いに出すことによって、マッカーサーは日本の鎖国主義の最後の扉を壊し、今度は日本に「品位と正義の原則を具体的に表現した簡単な哲学」を叩き込むつもりでいたのである。


               ペリー提督

超封建国家・日本

マッカーサーは、日本の狂信的な軍国主義が「今日の日本の悲劇」をもたらしたが、一方、アメリカは政治理念の「良き模範」で、それが「今日のアメリカの強さをもたらした」と信じていた。

だから、彼の日本評価は厳しい。

「日本は20世紀の文明社会ということであるが、実体は、西洋諸国が400年も前に捨てた封建社会に近い国だった。日本の生活には、それよりさらに古く、どうしようもないものがあった」。日本は「ほとんど神話のページをめくるようなもの」であり、日本人は「外部の世界がどうなっているか、まず、ほとんど理解していない」とこき下ろした。

同じ頃、日本降伏直後に来日した米外交官ジョン・K・エマソンは、「現在、日本人は政治的に無知であるだけでなく、政治に無関心である」と国務長官バーンズに書き送っている(エマソン氏はフーバー研究所の研究員として活躍しておられ、私は昼食を共にしたこともたびたびあった)。



西鋭夫著『富国弱民ニッポン』

第2章 富国日本の現状−2


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