歴史 2018/09/27

プロ意識を欠いた教授たち


教授の遅刻

まだある。教授の「遅刻」は当たり前。大学の授業は90分。学生諸君によると「20分から25分の遅刻は普通です」。30分以上遅刻すれば自動的に「今日はクラスなし」。遅刻をする教授は、授業を早めに切り上げる。20分遅れて、20分早く終われば、90分の授業は50分で終わり。さらに1学期12回ある授業を3、4回でも休講にすれば、大学教授は日本で最も楽な仕事である。


休講や遅刻がいくら多くても、罰則(減給)もないので、教授たちの悪癖は終わらない。逆に休講や遅刻が1度もない教授に対しては、何らの評価(皆勤賞・増給)もない。「みんな平等」という悪平等の弊害、群衆社会主義の欺瞞が大学にはびこり、健全な競争さえも許さない閉ざされた社会を形成している。


学内のタブー

300万人強の学生と全国に13万人いる教授たちは、全員この寂しい実情を常識として知っている。大学を卒業された読者の方々も同じ体験をされたことだろう。

事実、大学内には「言ってはいけないこと」が無数にある。学問の自由・言論の自由を大学の存在価値の旗と掲げているにもかかわらず、学内に「討論の自由」はない。学閥とイデオロギー閥と縁故・友達閥ができており、それらの閥が大学を牛耳っている。

「改革」を提案すると「前例がない」「規則がない」を理由に拒否される。前例がないから改革なのだが、そこまで融通が利かない。また、波風を立てる者として敵視される。

教授の質

教育大好きの日本は、大学教育で米国に負けている。この現状が危機的な問題だと思っているので、その理由を挙げる。

(1) 大学の善し悪しは、図書館の蔵書の数でもなく、最新のコンビューターの数でもなく、校舎の大きさでもない。「教授の質」である。教授は学生から授業料を取り、大学でしか学べない専門知識を伝達するために(時間給に換算すると)高い給料を貰っている。だが、カネだけ取ってまともな仕事をしない教授は、「プロ」としての誇りを欠いているだけではなく、倫理観に欠けた者と見られて当然だ。




西鋭夫著『日米魂力戦』

第5章 戦争と平成日本 -23



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