歴史
2017/11/01
ディエム独裁の誕生
ベトナム秘録
ベトナムが極度に醜くなってゆく。権力の魔力にとりつかれた者たちが国民の幸せを犠牲にし、私欲に溺れ、私腹を肥やし、国家を潰してゆく過程を箇条書きにする。ワシントン大学の反戦勉強会で習ったことと、私がアメリカで見たことが資料である。
(1)敗れたフランス軍は本国へ帰る。ホー・チミンは北ベトナムへ引き揚げる。しかし、ゲリラ親衛隊300人ほどは北へ帰らず、サイゴン市内に潜伏し、時機到来を待つ。
(2)ジュネーブ会議で1956年に総選挙(国民投票)がベトナム全土で実行されることが決定していた。国の英雄・ホー・チミンが統一国家の大統領に選出されるのは確実であった。
ジュネーブ協定無視の背景
(3)南ベトナムを牛耳っていたカトリック教徒のディエムは選挙で完敗すると読み、南は「総選挙はしない」とジュネーブ決議に違反する声明を出した。ディエムは、アメリカに唆されたのだろう。
(4)米政府(アイゼンハワー大統領)は、総選挙を実行すれば撲滅したい共産主義(ソ連と中国)がベトナムを侵食すると恐れていた。ディエムのジュネーブ無視を後押しする。
(5)米国務長官ダレスは「共産主義がアジアで広がらないようにするため、ディエムに軍事・経済援助する」と公言し、ディエムを独裁者に育てていった(ダレスは、日本に米軍基地を受け入れさせたサンフランシスコ平和条約を吉田茂首相と組んで締結させた米外交の大物である。彼の弟アレンはCIA長官を9年間務めた)。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−13