歴史 2018/01/29

ジャパン・バッシング


 「日本人不法鮭漁」のワケ

その翌年の夏、同じ工場でアルバイトをした。アリューの美しい娘も働きに来ていた。また好きになった。イクラおじさんも私を見た途端に、ニコリ。

「今年は、楽しいぞ」と思っていたら、鮭が戻って来ない。この夏、鮭の大不漁である。「日本人の不法鮭漁が原因だ」と身長も体重もでっかい漁師たちが騒ぎ始めた。声も大きい、数も大勢だ。日本人は私たち2人だけ。漁師たちの目つきが悪くなってきた。

鮭不漁の原因は3つある。

(1)原因不明。

(2)河川汚染。森林の過剰伐採。ダムの造りすぎ。

(3)アメリカとカナダ漁船が毎年捕りすぎた。

この「捕りすぎ」は漁師たちにとって、あまりにも不利である。そこで昔から「悪いのは日本人漁師の不法漁獲」のせいにする。


血塗られた鮭漁の歴史

ジャパン・バッシングは日本が昭和末期に「富国」になった時よりも、トヨタやホンダよりも、ずっと昔からだ。太平洋での悪行すべては日本人の責任、とアメリカは思っている。北太平洋の「鮭漁」には流血の歴史がある。

アラスカでイクラを造りながら、日米外交の歴史を学ぶことになった私は、太平洋という領土をめぐって100年も続いている戦いの深さに驚いた。

100年前、資源豊富な北太平洋のアメリカ領の小島に、アザラシを捕りに行った日本人漁師たち数人がアメリカ人たちに撃ち殺された。

1936年に、日本政府の調査船がアラスカのブリストル湾に入って、米国領海(3海里。陸から5キロメートル弱)の外側で紅鮭の「調査」を行った。この調査は、アラスカ、ワシントン、オレゴン、カリフォルニアの各州の漁業関係企業及び州知事、米国議会議員を巻き込んで、大問題に発展していった。大事件になる背景がある。


排日法

1920年代、日本人移民に対する人種差別が、ついに米議会で排日法(1924年)として国の法律になり、カリフォルニア州に移住していた日本人は惨めな差別を受けた。


日本人移民は農業に専念し、白人たちが「農地にならない」と見向きもしなかった荒地に入り、血のにじむような努力で次々と豊かな耕地に改良していった。日系移民の輝かしい大成功の一例で、日本人の誇りとなった人々である。

その大成功のためか、ねたみと羨望に狂った白人たちが、日本人移民からそれらの農地をとり上げてやろうと企み、排日運動として広がっていった。カリフォルニアを牛耳っていたマスコミ(新聞・ラジオ)の白人ボスたちも極端な排日派で、火に油を注ぐ。

排日法とは、日本人はアメリカへの移民として良くない人種である、と決めた法律だ。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第3章「アラスカ半島でイクラ造り」−8

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