アラスカに抱かれて
太古の森
真夏のアラスカ半島。風がキリリと冷たい夏。
豊潤な海と湧き水のように澄んでいる川と太古の森。
無垢の陽光が降り注ぐ短い夏の間に、自然が必死で緑になるアラスカ。
荘厳な美、煩悩を清めるかのような純粋な命が脈づいていた。
私が静かに立っていた川は細く浅い。川一杯に、赤い絹の帯がキラリキラリとうねりながら遡っており、私の足首にまとわりつく。
川が鮭で真っ赤。
針葉樹の森に守られ、上流の故郷へ早く帰りたい鮭の大群。
4年前、上流で生まれた稚魚は川を下り、海に出て成長し、必ず同じ川に戻ってくる。産卵の営み、死をかけた生命の宴が間もなく始まる。
チッグニックの鮭缶詰工場
世界最大のヒグマが生息しているコディアック島の北西、アラスカ半島の太平洋側に「チッグニック」と名づけられた「窪み」がある。
窪みは、巨大な岩山のふもとにできた三角形の小さな平地で、三方を絶壁に囲まれていた。絶壁の直下に、大きな鮭缶詰工場(デルモンテ社)が岩壁にくっついた盲腸のように海の上に突き出して建てられていた。
北の果てで私は、日本人が大好きな「イクラ」「筋子」を造る作業にたずさわった。仕事は日本人の「イクラ職人」のお手伝いと通訳。50歳半ばのイクラ職人は北海道出身、日本の商社に雇われた黙々と働く人だった。厚めの眼鏡をかけ、猫背で、無口。
ワシントン大学に留学していた時、夏休みのアルバイトで時間給の1番高い仕事は何かと探していたら、アラスカ半島で街詰工場での肉体労働兼通訳の仕事が見つかった。
「アラスカ」というだけでロマンと冒険心をかき立てられ、志願した。
「志願」が本心を正確に表現している。シアトルからも数百隻の鮭専用の小型の漁船が毎夏アラスカへ漁に出る。
冒険への出発
「窪み」には道路がない。「L」字型の木をガチッガチッとつないだのが歩道。
生活必需品は、労働者と同じように漁船か水上飛行機で運び込まれた。私もアンカレッジ港から、2人用の小さな水上飛行機で運搬された。
赤く塗られた赤トンボのような飛行機は初めてだったので、私は嬉々として中年のハンサムな白人のパイロットの隣に座った。
スカイ・ダイビングをするかのようなシート・ベルトを着用させられた。
アラスカで小型飛行機を操縦するパイロットは「ブッシュ・パイロット」と呼ばれ、巨大なボーイング747をハイテクの計器を使って自動操縦するパイロットとは違う本物のパイロットと高く評価されている。
北極に近いアラスカでは天候不順が当たり前。それも極端な悪天候なのでパイロット中のパイロットでないと生き残れない。
生き残っているブッシュ・パイロットは「死ねない」猛勇の男たちである。
それでも、事故、不時着は多い。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第3章「アラスカ半島でイクラ造り」−1