アメリカの誇り
レーガン襲撃事件
「アメリカの怨霊・ベトナム」が横道にそれているのではない。
レーガンが大統領に就任して69日目、暗殺者の拳銃の弾を肺と心臓の間に受けた。生死の境である。
彼の有能な報道官ブレイディは1発を頭に受け、現在でも下半身不随のまま。
レーガンは近くの病院に運び込まれ、手術を受ける。手術台に横たわり激痛にもかかわらず、「ボクに手術をする外科医は、まさか宿敵の民主党員ではないだろうな」と冗談を飛ばし、緊迫した手術室は笑いの渦に巻きこまれた。
また大統領暗殺かと息もできなかった米国民は、レーガンに「偉大さ」を見た。
レーガンで、アメリカが「誇り」と「希望」を取り戻す。
冷戦終結
レーガンはソ連を「evil empire(悪の帝国)」と呼びながらも、ソ連の新大統領・元共産党書記長ゴルバチョフと大の親友であるかのように友好を深めていった。
レーガンが1961年に築かれた「ベルリンの壁」を取り壊させよとゴルバチョフを説得した(ベルリンの壁は、1989年11月10日から、取り壊しが始まった。レーガンの副大統領ブッシュが大統領の時である)。
レーガンが40年間続いた冷戦を終わらせた。
冷戦が終わると、ソ連も終わった。1991年12月21日、ソ連は崩壊し、ロシアになった。
極東ロシアと日本
水素爆弾を2万発も抱えていながら、食べるにも事欠く国ロシアが日本の北にできた。
7年近くペレストロイカと呼ばれた改革を推進したゴルバチョフは、その改革が成功したために頭角を現した政敵エリツィンに追放される。
日本の首相は、レーガンに「ヤス」と呼ばれた中曽根康弘である。中曽根はレーガンを「ロン」と呼び、2人の仲の良さは明らかであった。アメリカで初めて「顔」の見えた日本の首相である。
「アメリカは偉大な国だ」「アメリカは世界で最もすばらしい自由な国だ」と声高らかに断言する大統領を永い間見ていない米国民は興奮し、夢とロマンをかき立てられた。
ベトナム戦争戦没者慰霊碑
そして、日本の現状からは想像もつかないことが起こった。
『ディア・ハンター(鹿を狩る人)』(1978年作)というハリウッド映画がある。
ペンシルヴァニア州の小さな製鉄の町の若者たちがベトナム戦争に参戦し、悲惨な経験をして帰国するが、人は変わり町も変わり、変わらないのは「愛」だけか、と問いかけた映画だ。アカデミー賞を5つも獲得した名画である。
1979年にこの映画を見たベトナム従軍兵ジャン•スクラッグズが、「ベトナム戦争従軍記念碑」を建てようと思い立つ。一般市民に呼びかけ、その記念碑建立のための寄付金を募った。集まった。
同時に、記念碑のデザインを公募にした。数千の中から選ばれたのは、エール大学建築学部の4年生だった21歳の中国系アメリカ人マヤ・リン女史のデザインである。
西鋭夫著『日米魂力戦』
第2章「アメリカの怨霊・ベトナム」−34