歴史 2018/02/27

「第七艦隊」さようなら


ペリー提督の出身地で

1999年の初春、ボストンの南、ニューポート市にある米国立海軍大学で公開講演をした(サルべ・レジーナ大学と共催)。ニューポート市は、米東海岸のロード・アイランド州、アメリカで最も小さい州にあり、武力誇示と恫喝で徳川幕府の鎖国を破った、米国太平洋艦隊のペリー提督の出身地。風光明媚な港町で避暑地として有名である。

米海軍の参謀になるであろう将校たちが多数聴衆として来ていた。

その将校たちに「あなた方は国の安全と国益擁護に全身全霊をかたむけ、それを誇りとして生きているのだろう」と私が発言すると、彼らは「その通りだ」という表情で、同時にニッコリと頷いた。

「日本人として、私もあなた方と同じ誇りを体験したい。日本を日本人で守りたい。米海軍第七艦隊、永い間ありがとうございました。日本の港から出ていってもらいたい」と大声を出した。

空母ジョージ・ワシントン


国防の誇り

静かで穏やかだった会場はキィーンとした緊迫感に覆われた。痛いような静寂は、私に向けられた怒りだったのか。「国防の誇り」を失った時の自分たちの姿を想像して、私に対する哀れみに似た同情心が表面に噴出した時の緊迫惑であったのだろうか。

と同時に、現役の将校たちを教育している海軍大学で、日本人が米海軍に「日本から出ろ」と発言するのを見た時の驚愕であったのかもしれない。

70分の講演と質疑応答が終わり、私が深く頭を下げると、嵐のような喝采が沸いた。4、5人の将校が近寄って来て、その1人が「日本海軍は強かった」と言い、内ポケットからきれいにたたんであった小さな「日の丸」を私に手渡した。


アメリカの強さ

海軍大学では第二次世界大戦中の日本帝国海軍の戦いぶりを教科として研究しているので、当時の激戦を体験していない将校たちも「日本海軍は強かった」ことを知っているのだ。

これがアメリカの強さ。

このおおらかさがアメリカの「懐の深さ」「底力」と言われるものだ。

つい60年前、食糧も弾薬も尽き、飲み水さえもなくなり、投降すれば生き残れるかもしれなかった日本兵は、祖国を守るため、父母、姉妹、兄弟、子供たち、そして恋人たちを守るため、降参の屈辱を選ばず名誉を鎧として、遥かに優勢な米軍に戦いを挑んでいった。

その戦いぶりで恐怖の戦慄を味わわされた米将兵たちは、日本兵に深い畏敬の想いを持った。それは有終の美を命の炎で飾った勇敢な敗者に対して、勝者が心に深く感じる追悼の念である。


西鋭夫著『日米魂力戦』

第4章「国の意識」の違い −1


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