「憲法第9条のおかげ」という幻想
非難をかわしたいアメリカ
シーボルドは、国務省のバターワース極東担当次官補の率直な意見を求めた。
バターワースは、「日本の宮廷生活の雰囲気の中で育った者が、幼いうちに、ごく初歩の英語力しかないのに外国へ行って、しかも大半がすでに数年間も同じクラスで過ごしてきた寄宿学校生徒の中に混じるというのは、ほとんど不可能だと判断すべきだ」と返答し、さらに「日本人はこういう事柄にはことさら神経過敏である」ので要注意だと言った。
もし、天皇・皇后両陛下がなおも皇太子殿下の大学の海外留学を希望しているなら、「その気持ちはくんでやらなければならないが、その場合、アメリカ留学はしないほうがいい。アメリカでは人種差別から厄介な事件が起きることも考えられ、皇太子のアメリカ滞在は絶えず心配の種にもなると思うからだ。アメリカ留学よりもイギリス留学のほうが、アメリカの日本"植民地化"の非難をかわすことにもなろう」と言っている。バターワースは、ディーン・アチソン国務長官も自分と同意見だ、とシ一ボルドに告げている。
「属国」のように生きる日本
皇太子殿下は、オックスフォード大学ではなく学習院大学で学んだ。占領下日本では、皇太子殿下から小学生に至るまで、アメリカが日本に「適切」と思った教育哲学(すなわちアメリカに頼った平和主義)に基づき教育されたのだ。
占領が終わってすでに半世紀もたとうとしているのに、いまだに、文部省はアメリ力の日本占領について、ほとんど何も教えさせない。日本帝国のアジア進出および侵略、また、世界での活躍についても教えさせない。「日本史」は、あたかも明治維新で終わったかのような錯覚さえ起こさせる。
だから、若い世代は世界中から謝れと言われても、具体的に何について謝罪しなければならないのか理解に苦しんでいるのだ。そのうえ、終戦後50年たった現在、経済大国日本がなぜアメリカの属国のように、オドオドしながら生活しているのだろうか、と不思議に思っているのだろう。
「平和ボケ」のわけ
戦後50年間、地球のあちこちで凄惨な戦争がたびたび勃発し、醜い同民族間での血の戦いもあり、50年間、戦いのなかった年はない。しかし、日本はあたかも「実験用のビーカー」の中に入った「純粋培養平和国」のように、他国の戦いに巻き込まれることなく、平和な時代を過ごしてきた。「平和ボケ」といわれるまで、世界の熾烈な現実からかけ離れた毎日を送ってきた。
「これもひとえに、ありがたい憲法第9条のおかげである」と信じているのは、日本国民の大半ではなかろうか。
西鋭夫著『富国弱民ニッポン』
第2章 富国日本の現状−17