東洋文庫
From:岡崎 匡史
世界の図書館⑤
東京都文京区にある「東洋文庫」。
日本における東洋史の研究拠点。
ジョージ・アーネスト・モリソン(1862〜1920)から購入した「モリソン文庫」を中心にして、東洋文庫は設立された。
モリソン文庫とは
モリソンは英国の新聞紙『タイムズ』の特派員として北京に駐在し、その間に多くの貴重な文献を蒐集した。
モリソンは、適切な人がいれば20年にわたり蒐集してきた貴重なコレクションを譲りたいと思うようになる。モリソンは、中国での戦乱で史料が消失するのを避けたかった。
米国の大学をはじめ、多くの機関から購入希望の意が表明された。もちろん、日本としても購入したい。
モリソンは、漢文を読みこなすことができる日本人に史料を任せるのが、適当であると考えたようだ。
モリソン文庫の購入
日本側の動きは、当時横浜正金銀行の頭取であった井上準之助(いのうえ じゅんのすけ・1869〜1932)と取締役の小田切萬壽之(おだぎり ますのすけ・1868〜1934)が相談。
彼らは「モリソン文庫」を、日本が購入することの重要性を討議した。
二人は、東京帝国大学文化大学長の上田萬年(うえだ かずとし・1867〜1937)に「モリソン文庫」の価値を調査依頼。その間に、三菱財閥三代目総帥・岩崎久彌(いわさき ひさや・1865〜1955・岩崎弥太郎の長男・男爵)に文庫の購入を促した。
東洋史の創始者・白鳥庫吉
相談をうけた上田学長は、東洋史の権威・白鳥庫吉(しらとり くらきち・1865〜1942)に調査を委嘱。庫吉は、日本における東洋史の創始者であり、開拓者だ。
白鳥庫吉は、47歳のとき東宮御学問所御用掛として皇太子裕仁親王(昭和天皇)の教育を仰せつかったことでも有名だ。教務主任として7年にわたり国史・東洋史・西洋史の御進講を担当。
「モリソン文庫」を調査した白鳥庫吉は、「国家的見地からしても、是非とも日本に将来すべきもの」と報告した。彼は学問の発展のためには、誰でも利用できる開かれたものとすべきという信念を持っていた。
上田学長も白鳥庫吉の意見に背中をおされ、井上頭取に「購入然るべき」と力説。これをうけた井上は、三菱総裁の岩崎男爵に購入を快諾してもらった。
購入価格は、当時の金額で35,000円。
岩崎男爵は、文庫の敷地・建物・図書そのほか一切の施設を寄附して「東洋文庫」の設立に大貢献した。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・東洋文庫『東洋文庫十五年史』(東洋文庫、1939年)
・津田左右吉「白鳥博士小傳」『津田左右吉全集 第24巻』(岩波書店、1965年)