フーヴァー研究所東京オフィス秘話④
From:岡崎 匡史
研究室より
フーヴァー研究所東京オフィス秘話ー③のつづき
フーヴァーの尽力で活動を再開させた東京オフィス。当初は非公式の活動であったが、フーヴァー研究所が公式に東京オフィスを出先機関として認める。
1947(昭和22)年11月26日、「東京フーヴァー研究所・蔵書助言委員会」が公式に設置された。東京オフィスの活動方針を示し、助言を与えるためだ。
蒐集方針
フーヴァー元大統領とフーヴァー研究所所長ハロルド・H・フィッシャー(Harold H. Fisher・1890〜1975・フーヴァー研究所所長1944〜1952)が蔵書助言委員会設置を認可した。フィッシャー所長は、太平洋戦争中の1945(昭和20)年1月の段階で、日本と中国の近現代の文献を蒐集する3つの方針を掲げていた。
フィッシャー所長の蒐集方針は、(1)戦争関連資料は、軍事作戦よりも戦争が起こった原因と結果に焦点をあてること(2)革命関連資料は、あらゆる形態の革命運動について取り扱うこと(3)平和関連資料は、政治・経済・文化・平和団体などすべての国際関係の分野を含めることであった。
委員会メンバー
東京オフィスは、蔵書助言委員会での議論と決定に従って5年間の蒐集活動を実施した。蔵書助言委員会は、以下のメンバーで構成された。
名誉会長:ヒューバート・G・シュンク
代表:Mr Seizo Motomura(日本語名未特定・スタンフォード1909年卒)
秘書会計:市川義夫(スタンフォード1925年卒・本州製紙勤務)
米国メンバー:ドナルド・R・ニューゼント中佐(Donald R. Nugent・スタンフォード大学卒で教育学修士、極東史で博士号)、トマス・C・スミス(Thomas C. Smith・スタンフォード大学准教授)
日本メンバー:Miss Shizuko Ichihashi(日本語名未特定)、徳澤龍潭(京都帝国大学卒業後、スタンフォード大学留学)、河合一雄(ジャパンタイムズ編集長・1949年にスタンフォード大学講師・1979年に占領史の古典となるJapan's American Interludeを出版)
兼務:東内良雄、Mr. Harumi Okamoto(日本語名未特定)
1947(昭和22)年から1950年(昭和25年)にかけて、蔵書助言委員会は16回開催された。1950年1月、フーヴァー研究所のフィッシャー所長が蔵書助言委員会に参加し、東京オフィスの活動に助言を行った。
日本研究で著名な英国人ジョージ・サンソム卿(Sir. George Sansom・1883〜1965)は、1950(昭和25)年12月27日に開催された16回目の蔵書助言委員会に特別ゲストとして招かれ、蒐集事業に貴重な助言を行ったという記録が残っている。
日本全国での蒐集活動
蔵書助言委員会は、東京オフィスに内務省関連資料をはじめ、反政府文学やマイクロフィルムを購入することも促した。効率よく迅速に貴重なコレクションを確保するために、1950年には北海道と九州にまで調査員を派遣した。
北海道における蒐集では、GHQ の民事局/北海道担当のジョン・B・スィッツァー司令官(John B. Switzer)と陸軍民間部のオリン・ヘイズ(Orrin Hays)が協力した。
九州における蒐集では、GHQの民事局/九州担当のジョセフ・H・ブルクハイム司令官(Joseph H. Burgheim)と彼の部下ジョン・W・ローク(John W. Rourk)の協力のもと蒐集活動を成功させることができた。
フーヴァー研究所東京オフィス秘話ー⑤につづく
ー岡崎 匡史