歴史 2017/12/09

フーヴァー研究所東京オフィス秘話②


From:岡崎 匡史
研究室より


フーヴァー研究所東京オフィス秘話-①のつづき

対日占領下、どうして東京オフィスが容易に設立されたのか。GHQは占領体制の秩序を乱す、不満分子に眼を光らせていたはずだ。

日本人だけで大掛かりな組織を作ることが出来るとは到底考えられない。


GHQとスタンフォード


東京オフィスの活動に力を貸したのが、GHQ参謀第二部(G-2)部長で反共主義者として知られるチャールズ・A・ウィロビー少将(Charles A. Willoughby・1892〜1972)である。

ウィロビーは諜報活動・保安・検閲を任務としていたので、日本に散らばっている資料蒐集に協力することは、彼の仕事を進める上で有利に働いたと考えられる。ウィロビーは除隊後、中央情報局(CIA)の設立にも一役買った人物だ。

そしてもう一人の協力者がマッカーサー元帥の副官ボナー・F・フェラーズ准将(Bonner F. Fellers・1896〜1973)である。

フェラーズはインディアナ州のアーラム大学で学び、ウェストポイント陸軍士官学校を卒業後、フィリピンのマニラでマッカーサーとマニュエル・L・ケソン大統領(Manuel L. Quezon・1878〜1944)との間の連絡将校として働き、対日心理戦で活躍した情報将校だ。フェラーズは1945(昭和20)年9月27日、昭和天皇が初めて米国大使官邸にマッカーサーを訪問されたとき、接待役として昭和天皇をお出迎えしたことで知られる。

偶然なことに、フェラーズ文書(Bonner F. Fellers Papers)とウィロビー文書(Charles A. Willoughby Papers)は、フーヴァー研究所公文書館に保管されている。現在、彼らの個人文書のなかに、東京オフィスの関連資料が残っていないか調査中だ。


日米スタンフォード人脈


フーヴァー研究所東京オフィスは、1945年11月に連合国軍総司令部(GHQ)の許可を得て発足した。

東京オフィスの代表には東内良雄(1937年スタンフォード大学卒・1953年にジャパンタイムズに入社し、1972〜1981年まで社長)が就任。非公式の監督者としてGHQ天然資源局局長ヒューバート・G・シュンク大佐(Hubert G. Schenck・1897〜1960・スタンフォード大学教授)が就いた。

日米のスタンフォード人脈が、占領下の日本で結びつき活動がはじまった。


フーヴァー研究所東京オフィス秘話-③につづく


ー岡崎 匡史

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