歴史 2017/11/24

フーヴァー研究所と日本占領


From:岡崎 匡史
研究室より

2発の原爆で廃土と化した日本。屈辱的な敗戦、、、そして米軍の占領。

先行きが見えない混沌としたなかで、フーヴァー研究所東京オフィスは活動を開始した。

前回の「フーヴァーアーカイブス」の記事で、フーヴァー研究所と日本占領について少し触れました。

今日は、その続きです。

なぜ、日本近代史の重要史料がフーヴァー研究所にあるのか?

これには、ちょっとした物語があります。

フーヴァー元大統領の信念


1914年、ハーバート・フーヴァー(第31代米大統領・1874〜1964)の眼に、ある記事がとまった。それは、コーネル大学初代学長アンドリュー・D・ホワイト(1832〜1917)が書いたものだ。

その内容は、、、


フランス革命について研究するのが難しい。なぜなら、当時の記録や時事問題の資料が散逸しているからだ。

この記事を読んだハーバート・フーヴァーは、第一次世界大戦の記録や資料を失ってはいけないと決意。

平和の維持には、戦争の研究が欠かせない。並々ならぬフーヴァーの決意は、1921年に「フーヴァー戦争図書館」(Hoover War Library)として結実する。戦場となったヨーロッパの史料を集めるために、スタンフォードの卒業生や教職員、政治家や友人が協力した。

フーヴァーの信念は、第二次世界大戦でも発揮された。

世界各地の前線で戦っているすスタンフォードの学生や教職員は、公文書の重要性を理解していた。たとえば、フィリピン戦線で従軍していたスタンフォードの卒業生は、日本軍のフィリピン統治の史料を集めて大学に送っている。

東京オフィス


当然、敗戦国の日本でも、フーヴァーの意志を継承しようと動きだす人々が現れた。それは、東京のスタンフォード大学同窓会のメンバーたち。日本帝国が戦争に突入した時代の動向や原動力を解明しなければならないと、、、

彼らは史料を集める計画を練った。1945年11月にフーヴァー研究所の「東京オフィス」を開設。マッカーサー元帥からの許可も得た。東京神田駿河台にある日本雑誌会館の一角をオフィスとした。


非公式ながらGHQの天然資源局長ヒューバート・G・シェンク(Hubert G. Schenck・スタンフォード大学教授)が東京オフィスの指揮をとる。参謀第二部部長チャールズ・A・ウィロビー(Charles A. Willoughby)をはじめとするGHQ職員の協力もあった。スタンフォード大学の卒業生(1937年卒)東内良雄(Yoshio Higashiuchi)を中心にして、東京オフィスは運営された。

その間に、トルーマン大統領はフーヴァー元大統領を第二次世界大戦で極度の食糧不足に陥っている戦地を視察するように依頼。

1946年、フーヴァーは敗戦国日本にやってきた。マッカーサー元帥と日本の食糧事情について会談。スポットライトがあたっている輝かしい舞台の袖で、アメリカ陸軍はフーヴァー研究所の東京オフィスを公式に認めた。

東京オフィスは精力的に活動し、神保町界隈で資料蒐集にいそしむ。1945年11月から1947年12月までの約2年間で書籍5000冊をはじめ、雑誌・新聞・政府刊行物などを集めた。これらの資料は300箱にもなり、日本から太平洋を渡りスタンフォードに届けられた。5年間の活動で、最終的に1468箱がスタンフォードに送られたという記録が残っている。


流出か保存か


これを、史料流出といえば、たしかにそうであろう。混乱期にあった日本では、史料が消失してしまった可能性も捨てきれない。

フーヴァー研究所に保管されていたからこそ、いまでも史料が残っていることは揺るぎのない事実だ。保存状態も申し分ない。

でも、日本人なのに日本の史料を見ることができない。日本の史料がアメリカにあるのは、どうも納得できない。なんとも言えない、モヤモヤした感じが心の片隅に残ります。

だから、フーヴァーアーカイブスでこれらの史料を紹介できればと思っています。

何を隠そう、「日本近代史文書コレクション」は東京オフィスが集めた史料をもとにしているのです。

ー岡崎 匡史


PS.
東京オフィスに関する史料は、極めて少ないのが現状です。
次回のブログから「フーヴァー研究所東京オフィス秘話 1〜6」を連載します。

以下の文献を参照しました。
・Nobutaka Ike. The Hoover Institution Collection on Japan, Hoover Institution Press, 1958.
・Peter Duignan. ed. The Library of the Hoover Institution on War, Revolution and Peace, Hoover Institution Press, 1985.

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