歴史 2019/06/29

スコラ学とキリスト教


From: 岡崎 匡史
研究室より

先週のブログでは「コペルニクスと太陽神信仰」を取り上げました。

現代の「科学観」からみれば、宗教と科学が相容れることはありません。なぜなら、科学の「純粋」さが損なわれ、非科学扱いされるからです。

しかし、科学の発展には、宗教が深く関与していることもあります。

「科学」と「キリスト教」の知られざる関係は、コペルニクスの例だけに留まりません。

スコラ学

12世紀にさかのぼれば、ヨーロッパを席巻したのは「スコラ学」です。

スコラ学は、キリスト教思想とアリストテレス哲学が融合し、その思想の神髄は「神は二つの書物を書いた」という言葉に凝縮されています。

神が書いた「二つの書物」とは何か?

それは、「聖書」と「自然」です。

「聖書」には、文字通り「神の国」の言葉が記述されている。

「自然」には、「神の創造の意図」(神の手による設計図)が記されている。全知全能の神の手によって創られた「自然」には、神の意図に沿った合理性があるはずだ、と考えられたのです。

身近な例をあげれば、水は100℃で沸騰しますね(もちろん例外もあります)。この法則のように、自然には神が創った掟があると信じられたのです。

信じるために知る

スコラ学を完成させたトマス・アクィナス(1225~1274)は、「信じるために知る」という有名な言葉を残しました。

「信じるために知る」とは、どういうことか?

自然の背後には神の意志が介在している。自然を徹底的に探求することにより、神の存在と創世に確信がもてる。なにせ、自然は神が創成したのだから、、、

現代の科学では、「信じるために知る」という根底の動機は忘れ去られました。宗教が科学に踏み込む余地はありません。現代科学は自然を徹底的に対象化し、専門性を高めて発達を遂げたのです。

「宗教」と「科学」は対立するものと考えられがちです。しかし、歴史を紐解いていくと、神の存在を確信するために「科学」が用いられた時期もあったのです。


ー岡崎 匡史

PS. 以下の文献を参考にしました。
・森山茂『新・宇宙と地球の科学』(開成出版、2007年)



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