GHQの看護改革
From: 岡崎 匡史
研究室より
人間、誰でも病気にかかる。
不測の事態に巻き込まれることもある。
アメリカにいる時は医療費の請求が怖くて我慢してしまうが、日本に滞在していると病院を身近に感じる。
診断して治療を指示するのは「医師」だが、医師独りで医療を成し遂げることは到底できない。
「医師」を支える「看護師」(看護婦)の存在が欠かせない。看護師さんに、点滴の注射を打ってもらった方が、医師より上手という場合さえある。
敗戦後の病院
1945年9月、GHQは東京に乗り込んできた。
アメリカ兵が病気にかからないように、 DDTが飛行機から撒かれていた。
GHQで公衆医療の責任者であったサムス准将は、すぐさま調査にとりかかる。だが、日本の病院を調査して唖然とする。
入院患者に家族が付き添い、部屋のなかで食事の用意までしている。魚のにおいが充満し、灰や七輪が散乱し、不潔で乱雑な状態だった。
医師のなかには若い娘を引き取って、掃除や洗濯のかたわら看護の仕事を教えている。この状況をすぐに改めなければならない。
サムス准将は、「看護は看護婦の手で」というスローガンを打ち出す。
医師と看護婦は両輪
サムス准将の下で実施的に担った人物は、看護師のグレース・E・オルト。
オルトは、看護婦は医師の後を追いかけ、医師の言う通りに動いている。「日本のナースはドクターの女中(サーバント)のような存在だ」と激しい怒りを覚えた。
しかも、看護婦の地位が低い。そのうえ、患者を看る看護婦たちが栄養不足に陥っていた。下駄や草履をはいており、冬になると、手足は真っ赤に腫れる。水道管も壊れており、バケツで井戸の水を汲んでいる。
オルトは、看護婦の意識改革を促すために、新しい看護概念を確立を目指した。
「看護は芸術である」(Nursing is an art)
「看護は科学である」(Nursing is a science)
「看護は専門職業である」(Nursing is a profession)
オルトは、看護婦と医師の間に上下関係はないと教え諭した。
看護婦に対して、「医師と看護婦は車の両輪のようなもので協力して働くべき」と教育する方針を立てた。
ー岡崎 匡史
PS. 以下の文献を参考にしました。
・大石杉乃『バージニア・オルソン物語』(原書房、2004年)
・金子光編『初期の看護行政』(日本看護協会出版会、 1992年)
・ライダー島﨑玲子、大石杉乃『戦後日本看護改革』(日本看護協会出版会、2003年)