習慣 2016/08/23

ケント・ギルバート:外国人だから言える日本のスゴさ Vol.1


ロイス・クルーガー:
今日は東京でケント・ギルバート氏と一緒にいます。

ケントさん、あなたは有名人です。
「ケント・ギルバートと知り合い?」って色々な人に聞かれて
「何回かお会いしたことありますよ」と答えると
「ケントさんってどんな人!?どんな人!?」ってなるんですよ。

ケント・ギルバート:
僕はいい人ですよ。

ロイス:
もちろん。私もそう言っています。 そしてとても興味深い人です。
今回は日本の方々に、ケントさんの個人的な面をお伝えしたいと思っています。
そもそもなぜ日本を選んだのでしょうか?
そして、どんな活動をしているのか...など。
これを見ている方々は、そういうことを知りたいと思うんです。
ではまず…なぜ日本に来たのでしょうか?

ケント:
私は日本に来たくて来たのではないですね。
来たくなかったわけでもない。
ただ、19歳の時に教会の宣教師を申請したら
教会は勝手に私を日本に派遣することにしたのです。
勝手にとは言っても、教会は霊感によって決まったと言いますけれど。
霊感があったんでしょうね。

いずれにせよ急に日本に行くことになりました。
正直、どうしようと思いました。
日本という国の存在は知ってましたが。
「どこだっけ」「中国の沖合の島だったよな」という感じ。
それぐらいしか知りませんでした。

その時日本に住んだことがある人を探したら2人見つけることができました。
1人はロイスさんもご存知のフレッド・アーディー。
とても良い人ですよね。私の父親の友人だったのです。
彼は「成功するためにどうしたら良いのか教えてやるから家においで」
と言いました。
だから日曜日の夜、両親と彼の部屋に行ったのです。

彼はその時テーブルの上で電気鍋で肉を焼いていました。
私は「ちょっと待てよ、日本人は魚を食べるんじゃなかったか」
と思いました。
すると、彼はその鍋に砂糖を入れるのです。
「肉に砂糖?なんだこの国は」と思いましたよ。

これは言うまでもなくすき焼きだったのですけどね。
今どきの若い人たちは出来上がったタレを入れるだけなのですが
本当は砂糖が結構入ってるのです。

彼は「それは生卵に付けて食べるんだ」と言いました。
驚きました。生卵はアメリカでは食べないですからね。
しかし試してみたら美味しかった。
これはいけるかもしれないと思いましたよ。
その頃はまだ、すき焼きは毎日食べるものではないことを知らなかった(笑)。

その時に彼がとても良いアドバイスをしてくれました。
「日本とアメリカは文化的にも、習慣も慣習も何もかもが逆なのです。
だからアメリカのようなものを期待すれば期待外れになります。
ホームシックにもなる。

何かアメリカと違うことを見た時に、「これおかしいね」と言わないでください。
そうではなく、「これ不思議ですね」と言ってください。
この2つの言葉は全く違います。

「おかしい」というのは否定的な言葉です。
だから、おかしいって言ってしまえば終わりなのですよ。
それより先がないのです。
ところが「不思議だね」と言ったら、その先に新しい発見があるのですよ。

日本には「ふしぎ発見」という番組があります。
私はそういうつもりで日本に来たのです。
実際には彼の言う通り何もかもが逆でしたね。

面白いのは、火事があったらアメリカでは911に電話しますが
日本では119なのです。
そんな細かいところまで本当に逆です。
しかしそれはそれで良いと思います。
よく考えたら、全部逆だったらうまくいくものなのですよ。

日本の皆さんは宣教師を街で見かけたことがあるかもしれません。
2人組の若者が自転車に乗って走っている光景を見たことはありますか。
あの宣教師たちはいつもヘルメットを被っています。
実はあのヘルメットのルールは、私が教会の弁護士になった時に作りました。
交通事故が相次いで起きたので、これは危ないと思ったのです。
それで何人かの命が助かっているのですよ。
私の時はヘルメットはありませんでしたが、2年間ママチャリで街を回り
様々な人たちと宗教の話をしました。

布教活動を通して、たくさんの方が私たちの話を聞いて改宗してくれました。
しかしこれはどちらかというと修行なのです。
私は19歳で来日しました。
宣教師といえば年老いた老人が何年もその国に住んでいるというイメージがありますが
実際には私たちの任期は2年間なのです。
日本に来た時はまだ子どもで、帰る時には立派な大人。
3人の息子も宣教師をやりましたが、全然違う人間になって帰ってきました。
もちろん私にとっても非常に良い経験でしたよ。

ロイス:
例えばどのような変化だったのでしょうか?
1〜2つ例と、その理由を挙げて頂けますか?

ケント:
何か目的を持ち、仕事というかそういう活動をするわけです。

私は日本語が分からないまま日本に派遣されたわけですから
来日前にハワイで2ヶ月の日本語の集中講義を受けました。
朝6時半から夜9時半まで、毎日日本語を勉強するのです。
それ以外何もすることはありませんでした。

海には近づけなかったけれど、1日1時間だけ運動の時間もあり
毎日文化の時間も1時間ありました。
でもその時間以外は言葉を覚えるのです。

そこには分厚い会話集があり、1ヶ月で暗記しなくてはならなかった。
私は最終日にそれを達成できたのですね。
60人中最後まで暗記できたのは3人だけでした。
私はその3人目でしたけれど。
他の2人は性格が悪いとか顔が悪いとか問題がありましたけれど
私は全て揃っているので大丈夫です(笑)。

この時の達成感がすごかったですね。
あの2カ月は今までの人生の中で最も充実した2カ月でした。
そこには女の子はいないし、バイトも家族もないし、何もありません。
1つのことに目的を持って、行き先に集中して
全ての力をそこに注ぐことができたわけですよね。
途中で少しだけストレスがたまって、暴力事件もあったのですけどね、実は(笑)。

私のいとこがサモワに行くためにサモワ語を同じ場所で勉強していました。
私のTシャツを着て、ヤシの木をよじ登った時に
そのシャツにココナッツミルクのしみが付いたのです。
それで、溜まっていたストレスが爆発して彼をメタメタに殴ってしまった。
親戚だったから良かったのですけど。
彼はそれを受けて終わり。
私より全然強い男だったけれど、やり返しては来なかった。

それで私は、やはり限界があるんだと気づいた。
ストレスが溜まるまでやることはないなと。
実は私は途中から英語を話すのをやめて日本語で生活することにしていたのです。
ところが、1日の全てを日本語だけで生活するための能力がなかった。
だから言いたいことが言えない。
そうするとストレスが溜まっていく。
それがその時に爆発したのです。
無理し過ぎると良くないこと。これは大きな発見でしたね。
いとこには悪いけど(笑)。今でも仲良いですけどね。
彼はサモワに行くということで、全然ストレスがなかった(笑)。
日本とは違う所ですからね。

日本に来ても、私たちはほとんど遊びませんでした。
布教活動だけですから。それでも休みの日は週に1日はありますからね。
その日は山登りをしたり、教会の会員と遠足に出掛けたりしました。
そういう楽しいこともありましたよ。
しかし基本的には朝から晩まで仕事だけです。
新聞も読まないし、テレビも見てはいけない。
伝道本部にいた半年間は車を運転していましたけどね。
車に乗る時はラジオを聴いてました。これは本当はいけないのですけれど。

当時私は毎朝1時間ぐらい必ず日本語の勉強をしていました。
そうすると朝勉強した単語がラジオ放送に出るのです。
必ずです。
これが不思議でした。
朝覚えた日本語が、そこで出てくるともう忘れないですね。
だからラジオを聴いてはいけないのは分かるのですけれど
私の場合はどうせ移動してるだけですから、勉強と考えてやっていました。
そのように目的意識を持って生活していくと大人になりますね。

今の宣教師で一番困るのは、ゲームばかりやってきた連中です。
働くことができないから人間対人間のコミュニケーションができない。
だから駄目なのですね。
宣教師として成功する人の多くはスポーツや音楽をやっていた人たちです。
1つの目的を持ってそれに向かって頑張った人たち。
いつまでもゲームとかLINE、携帯ばっかりやっている人たちは駄目ですね。

私の次男坊も東京で宣教師をやっていました。
音楽好きの彼は教会についた途端
「教会の音楽じゃなくて、ロックミュージックを聴いて良いですか」
と尋ねたそうです。
すると、日本人の伝道部会長はこう言いました。
「あなたが良いと思えばそれで良いですよ」と。
息子は最初はロックを聴いていましたが、その内聴かなくなったのですね。
聴きたくなくなったそうです。
自分が今やっている仕事に関係ないんだから。

かえって邪魔だということに自分で気付いたのですね。
もし禁止されたら彼は抵抗したかもしれませんけれども
あの伝道部会長はよくうちの息子の性格を把握していたと思いました。

伝道に行く前は大学の中でも成績が最悪だった息子が
帰ってきたらオールAの成績を取るようになったのです。

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